ニュージーランドで見つけた“Empathic”な光景

未知のウィルスCOVID-19への対応に各国が追われる中、にわかに世界の注目を集めたのが南太平洋の小国ニュージーランド 。4月27日にはアーダーン首相が、新型コロナウィルスの感染拡大を阻止する「戦いに勝利した」と宣言しました。

 

 BBCの報道によると、科学的根拠をもとにした政府決定(科学)と、アーダーン首相による一般市民にも分かりやすい説明や訴え(共感力)等によって、世界的にも厳しい封鎖措置に対する国民の支持が得られています。そんなニュージーランドで市民の間で【共感(Empaty)】が浸透していると感じたのは昨年8月のこと。

 

 エシカル先進国で、手つかずの自然が多く残り、カフェ文化が盛ん、人間の数より羊の数が多い…くらいのふんわりしたイメージしか持っていなかったのですが、なんとなく1度は行ってみたい国の1つでした。機会があって昨年夏(ニュージーランドでは冬)、3泊で3つの町を旅することになりました。まず最初にびっくりしたのは、検疫検査の厳格さ。とにかく持ち込めないものが多い上、荷物の中身まで検査されました。「さすが農業大国、ここまでして固有品種を守っているのね」と思いながらも、まったく嫌な気分にさせないのが、検疫官の笑顔と「Thank you! Have a good day」のひと言でした。アメリカとかじゃなかなかないですよね…(ハワイ州は別として)
[ クイーンズタウン空港に着陸する機内から見た景色。無骨なカーキ色の山脈に雪化粧が ]
 
 クィーンズタウン→テカポを経て、緑豊かなクライストチャーチで1泊後、次の目的地シドニーへと向かうため市街地から空港へバスで移動している時のことでした。空港まであと2〜3kmというあたりで、バスから降りる70代くらいのご婦人がステップから転げ落ちてしまいました。小さな悲鳴にびっくりしてバスの窓から見ると、綺麗な銀髪ショートヘアのご婦人が額から血を流して呆然としていました。その瞬間、バスの運転手が飛び出して婦人を助け起こし、すぐさま電話でどこかと連絡を取っています。同時にバスから2人の女性が降りていき、婦人の腕をとり背中をさすったり声をかけたりしているのです。「運転をストップしています」「状況を確認中」というアナウンスが流れ、そのまま10分、20分、と時間が流れていきます。

 30分ほど経った頃、「このバスは運休。後から来るバスに乗ってください」との案内が。すぐに後方に別のバスが現れて、乗客が10人ほどが次々に乗り換えていきます。件のご婦人は、家族のお迎えを待っているのでしょうか、助けに入った女性たちに肩を抱かれてバス停のベンチに座ったまま。その横を通りながら、バスを乗り換える乗客たちがご婦人に声をかけていきます。
[ クライストチャーチの街を流れる何本もの川。ほとんどの川沿いは緑が綺麗に整備されていて、各所で住民が憩いのひと時を過ごしていました ]

 東京に住んでいた頃、人身事故で電車や地下鉄がストップするたびに、多くの乗客がうんざりしながら携帯でアポ先の人に連絡をとる姿を思い出し、それが普通のことだと思ってきた自分にとって、このバスでの光景はとても新鮮であたたかさを感じるものでした。遅延や運休が当たり前のニューヨークの地下鉄で見た、人々の諦観とも違う。このバスに乗り合わせた人たちにとって、ご婦人の怪我は「見知らぬ他人の怪我」ではなく、「自分あるいは自分の近しい人の怪我」であるのを感じました。(そして、ニュージーランドの多くの交通機関がほぼオンタイムで運行していることも付け加えておきます)

 たった数日の滞在、たった1度だけ目にした心温まる光景。それだけでその国を理解できる訳ではないけれど、政治や日常生活の面でニュージーランドという国を少しうらやましく感じてしまいます。それが人口の少なさ、付近に脅威となる国家がないという有利な地理条件などが、ニュージーランド市民の【Empathy】を醸成した大きな理由だとしても。

 日本にだって「自分あるいは自分に近しい人」ではない誰かを思いやる光景がいくつもありますもんね。

 少し前のこと。取材先に向かう電車で人身事故にあった友人がTwitterでつぶやいていました。「人身事故で山手線止まった! やばい間に合うかな」「でも人身事故ってことは、誰かが亡くなられたかもしれないんだよな。そしてその人は誰かの親だったり、誰かの子どもだったりするんだよね…」「無事を祈ります」

 希望の種は身近にありました。